「ああ、おじちゃん?おれおれ、Tだけれど今風邪引いちゃってさあ、あ、あと携帯かえたからさぁ・・・・
実は○○の契約でちょっとトラブルがあって・・・今月末に返せるから今週だけ貸して欲しいんだけれど」
今日のお昼時、テレビを見ていた父にかかってきた一本の電話。
高齢の父だが、まず父から見て甥っ子のTは、父のことを「おじちゃん」とは呼ばない。
彼の父親(私の父の実兄)の呼び方そのままに、父をニックネームで呼ぶ。
次ぎに、「携帯変えたからさぁ」という理由。
変えるも何も、Tは父に携帯番号を教えていない。
そして「おれおれ」
未だに「おれおれ、おれだけど」というものか、と父は却って訝しんだそうだが
「なんだ、どうして携帯番号変えたんだ?」と聞いたそうだ。
「いゃあ、トイレにおっことしちゃって」
「なんだ、どうしてトイレにおっことしっちゃったんだ?」
・・・・・・
トイレに落とした、といっているものをさらにどうして?と聞かれても。
本当におっことしちゃったんなら、なんと応えればいいのか。
さすがに相手もしばらく絶句していたそうだが、やがて気を取り直したように
「携帯変えたからさあ、だからおじちゃんの番号教えて」と尋ねたそうだ。
父は自分の携帯番号を覚えていない。自分には掛けないので覚えるチャンスがないからだ。
「自分のなんかは知らないなぁ、調べて掛け直すから番号教えて」というと
相手は携帯とおぼしき番号を伝えようとしたのだが、
演技なのか、本当に聞き取れないのか、父は4回も繰り返し言わせて
トドメに「明日、おまえの嫁さんに伝えておくよR子だったよな」と言うと
「うん、R子も元気でおじちゃんの事を心配していたよ」・・・・・
「おまえはだれだ、ちゃんと名前をいいなさいっ」と一喝。
そこで電話は切れ、かけ直しても「電源が入っていない・・・・・」になってしまった。
R子は、父のもうひとりの甥のお嫁さん。
父は自分の機転を大いに誇ったものだが・・・・しかし現実に父は実家に行くと
しょっちゅうふたりの甥の嫁さんを間違えて呼びつけているのを私は知っている。
未だに「おれおれ詐欺(振り込め詐欺)が横行しているとはびっくりだが
ましてや、自分の身の回りで起きているとは思わなかった。
父にはTという甥がいること、Tの父親、私の父の実兄は既に他界していて私の父しか叔父がいないということ、
Tの仕事が○○であり、収入は月末に限られていること、
全部本当のことなのだ。
名前や電話番号、家族構成当たりまでなら、いくらでも情報が回ってしまう危険性はあるだろう。
しかし離れて住んでいて、現在は盆暮れくらいしか行き来のない叔父・甥の関係まで熟知しているとは
どこから情報が漏れるのか、戦慄してしまう。
すぐにT本人に電話した父はやっぱり詐欺であったことを確認すると最後に得意げに
「ほら、嫁さんのR子さんにも良く言っておきなさい。こういう詐欺は危ないからね」
「△△ちゃん←父のあだ名、それは兄貴の嫁さんの方だよ・・・・・」
「おとうさん?気を付けてね、撃退したと思っていて気が緩んでいると、本当に巧妙なのにひっかかるわよ、私の職場だ、なんてかかってきてもちゃんと確認して、絶対お金は動かしちゃだめよ」
「大丈夫だよ、おまえの名前で何があってもびた一文、払わないから・・・・」
それはそれで・・・なんだかとても寂しい気持ちになってしまった。
Sunday, November 18, 2007
いまだにくるか?振り込め詐欺
Sunday, November 11, 2007
かっぱ? ただひたすら楽しんだ小川芋銭展
子どものころ、青く見えるプールに通った。
近道をして突っ切るそこはお花屋さんにもまだ売っていないような真っ赤なガーベラの畑だった。
坊主頭のおにいさんが何本も束にして、白い薄い紙に巻いて格安で売ってくれた。
農業の勉強をする学校だと知ったのは、一緒に買ったいちごジャムの缶に巻いてあった紙を読んだ時。
小学校に通うようになるとそこは歴史博物館になった。
いつでもそこは私にとって特別の場所だった。
春に桜並木が一斉に満開となり
晩秋にカナリアの形の銀杏が地面を埋め尽くす。
季節毎の散策。
久しぶりで茨城県立歴史館へ。http://www.rekishikan.museum.ibk.ed.jp/index.htm
茨城とゆかりの深い小川芋銭の河童百図を見に。
ほんとうに可愛らしい。
余白の白さが際立って、河童の動きがとても自在。
手の込んだ背景がない分、いても可笑しくないよなぁとリアリティが増すような。
そして今回の私の発見・・・
正直に申し上げて心底驚いたのは、「解説」のプレート。
作品に添えてあるでしょう?あれです。あの鹿爪らしい年号や参考文献が一杯ならんだ。
ところが今回は、そんな解説のとなりに、ちょっと大きなひらがなで
「子ども向け」の解説が立ててあるのです。
ところがところが侮りがたし。子ども向けどころか、私はこっちばかり読んでいったのです。
対象年齢限定の上、こ難しい言い回しも使用禁止。
内容の解説なのに18禁ときてはどう切り抜けるのか「○こだま」
学芸員さんご自身では、きっと譲れるぎりぎりの線だったのでしょうが
私は凡百の解説本よりも、ずっとかっぱくんは喜んでいると信じます。
この解説を読んでふと目を上げると、はつものに歯形をつけていたかっぱくんの視線を感じます。
でも私は女性だから大丈夫。それに今は川泳ぎをしないですから。
剥ぎ取る快感 e-womanの楽しみ方
ここ数ヶ月はまっているサイトがここ。↓
http://www.ewoman.co.jp/
2年前であったか、図書館で聞いた講演会に講師としていらっしていたのが
主宰者の佐々木かをり氏であった。
約2時間の講演はテンポ良く、緊張感が持続する雰囲気で
好ましく、テーマも働く女性の現実的な課題であり、
十分刺激を受けた。
このサイトもしばらくは「見ているだけ」であったが、リーダーとして参加。
イー・ウーマンサーベイが面白い。
なにせ与えられた文字数は230文字。
この範囲内でyes?no?をはっきり打ち出し、そして必ず「私」主語で意見を述べなくてはならない。
一気に詰めたいところで、また文字切れ。
当然削り直しに、訂正を繰り返すことになる。
この「剥ぎ取る」という練習は今の私に一番必要なレッスンだとつくづく思う。
Saturday, October 27, 2007
Evita 野心と権力についての疑問 1
「鹿鳴館」から1年6ヶ月ぶり。ミュージカル解禁はひたちなか市民会館での劇団四季「EVITA」
http://www.shiki.gr.jp/applause/evita/index.html
アルゼンチンは遠い国だ。
タンゴのイメージとゲバラの生まれた国。
今回のミュージカルもストーリーを繋ぐ役目はゲバラが語る形になっていた。
Che Guevaraについては稿を改めるとして。
台風の雷雨の中をびしょ濡れになって駆け込み
そして幕が上がる野心のストーリーというのはややできすぎにしても
ひとりの人間の脳味噌が立ち上げる激しい権力への欲望に
震えが来る思いだった。
実際の写真で見るエバは金髪の巻き毛も可愛らしい着飾った女性で
「聖女」の役割は十分果たせたことだろう。
女性が男性の領域に踏み込むことが大変なこの世の中で
エバが26という年齢で駆け上がって行くことが出来たのは「夫の七光り」だけではあるまい。
Hasta Mañanaのお気楽な国民傾向だけでもあるまい。
生まれて初めての海外旅行がフィリピンだった。クーデターの直後でマニラ空港は厳戒態勢だったし
マニラ市内の至る所に機関銃を抱えた兵士がいた。
コラソン・アキノの黄色いTシャツをネタ作りに買ってきた。
沢山の靴を残したイメルダ・マルコスの逸話も耳にした。
エバはなぜイメルダにならずに、未だに美しい神話となっているのだろうか。
大統領夫人が政治に介入し、さまざまな軋轢を生じさせる例は枚挙にいとまがない。
それは則天武后しかり江青婦人しかりだが。
また彼女が外遊にたったのは第二次世界大戦終結直後。
アルゼンチンはいったいどうやって対戦時期を雌伏していたのか。
彼女と彼女を生み出したアルゼンチンに興味が尽きない。
ミュージカルではむしろ夫を支え、叱咤し、ふたりで利用しあいのし上がってきた感があるが
ペロンという男性はどんな野心をもっていたのだろう。
興味が尽きないので、この項は続きます。
Sunday, October 07, 2007
挑発? 魯山人と岡本太郎・・・芸術って?
疲れたねぇ、両方はいらないよね。
うん、どっちかひとりずつの展覧会でいいよね。
でもさ、私ね、子どものころから訳もわからずに、あの手の展覧会に連れて行かれて、何が一番感動したって、絵にしても彫刻にしても、ここで、この作家がこれに「触ったんだ」って思うと身体がぞくぞくするほど感動したのよ(笑)
あ、それってあるよな、やっぱり本物ってそれが一番なんじゃないの。
だよね、彫刻なら自分で絶対触っているんだし、陶芸品なんて触りまくって捏ねまくるんでしょ?絵だって絶対キャンバスに触れているし、顔近づけていれば息もかかっているよね。
陶芸品は極地だよなぁ。でもそれにしてはリトグラフが好きなのは、なんで?だって本物じゃないじゃない?
え??あ・・、それは・・・そうだよ。だってリトは全部が本物なんだもの。大量生産・大量消費っていうルートも含めて、画家の意図した芸術だもの。ウォーホォールもリキも、一点ものでちまちま発表することは考えもしなかったと思うよ。それに芸術はすべからく「新しい」がキーワードだから、何か違う新しいもの、でなければその使命が果たせないんじゃないかな。
う~ん。古い原点に返る場合も有りだろうけど、確かに古典の模倣ではいい作品ではないよな。模倣も極地だと絶対力量が問われるんだろうけれど。どんなに古典的な技法の作品でも、新しいと感じさせる一点がなければ、単なる「写し」だよな。
ずんだ餡の大福と、パック入りあんころ餅を食べながら
少し紅葉をはじめた山を下って休日はおしまい。
挑発? 魯山人と岡本太郎・・・3 陶芸祭により道
別々な意味で息苦しくなったふたりは、芝生も美しい広場へと逃れ出た。
一気に展示することは無謀だという意見に、ふたりの合意が珍しく得られる。
ただし私は、岡本太郎の、かの子からの血の濃さや、五体投地するような太郎の描きっぷりにあてられ
連れは大好きな魯山人の、マルチな活動ぶりの軌跡にあてられ
お互い「これ、ひとつずつでいいよね」と逃れ出てきた塩梅。
火祭り、ほどではないが笠間や旧八郷町の陶芸家がテントを連ねて即売会をしている。
ひとつひとつ眺めていくのもまた、展覧会に劣らない楽しみ。
栗のソフトクリームや古代米の大福を買い、甘いものを求める脳味噌に供給しながら
思いも掛けず穏やかな笠間焼きに出会う。
急須の蓋の金のちいさな摘みは「ぞうさん」なのだそうだ。
手のひらにぽっつりとおさまり心地の良い湯飲み。
笠間の焼き物が「素朴」で「荒削り」というイメージの私にはちょっと驚きの
陶器の、これが身上と思う「一回性」を感じさせる色。
陶器は割れたら使えない。だから、丈夫で割れにくいものを・・ではなく
割れたら無くなってしまうものをこそ側に置きたい。
また、その修復の手だてである金つぎがとても好きだ。
(魯山人のそろいの向こう付け鉢にも、金つぎが施してある作品が展示してあったが
本来其れは、内々のものだろう。外へは出せないはず。)
金つぎの燻べた金色はかっきりしたラインを描き、私の目を楽しませてくれる。
もとより器としては使いようがないけれど、例えば香合の金つぎはそれが却って脆さを強調して
陶器の陶器らしい形を見せてくれる。
金つぎのように偶然のラインではないけれども、穏やかな茶色の線がやさしく中央を仕切って通るデザインのお皿を、始めて自分用に買った。
大量生産の、それも真新しい清潔な、弾けばちーんと音がして、じゃぶじゃぶ機械で洗えるものでなければ
気持ちよく使うことができなかった私の、
本当に初めてのお皿、である。
いつか時間がもてるようになったら、金色の象がちんまりと載っている
温かな穏やかな急須を求めようと思う。
http://blogs.yahoo.co.jp/sousougama
スリランカの空のしたは金色の象が歩くのかしら。
美味しい紅茶が採れるところ。
となりのテントでは撤収の準備に、チェックのシャツをきた老夫婦がおだやかに夫婦げんかをしていた。
どの順序で仕舞っていくか、意見が別れていたらしい。
長閑な言い合いをしながら両端をもって移動する、危うく撓んだ板の上に
沢山の飯茶碗が伏せてあった。
挑発? 魯山人と岡本太郎・・・2 岡本太郎!!
私たちの世代ならキメぜりふとしての「芸術は爆発だ」「なんなんだこれは」が自然と所を得て口から出てしまう。
このトンデモないおじさん、というイメージ。
ヘリコプターで苗プリのスキー場に行き、巨大なキャンバスに身体を打ち付けるように描き
至る所に顔があり。
学生時代の都バスも一時期「爆発」していた。
残念ながらその芸術性はどうもキュビィズムの焼き直しの気がして
どちらかというとメディア向けのヒトと、それはそれで親しみをもった。彼は市井のゲ゛ージュツカ。
黒い躍動する線が、他のぶちまけたような色彩を一気に押さえて引っ張っていく。
いつも新しい。いつでも新鮮で。
そのケレン味が身上。だから面白かった。ドキドキするような面白さ、
観る人に、内省を強いるような鹿爪らしさはなく哲学的な深遠もない、
それなのにそのキャンバスがあるだけで、その作品があるだけで
「いま」「そこ」が一気に変化する。
近くによって彼の絵を見たのは初めてだった。
偶発的な筆遣いは微塵もなく、この色の重なり、色遣い、色の置き方が全て
画家の意図だとしたら、
この途方もない緻密さは小説の技法そのものだ。
奔放で破壊的でいて、それでいて作品にはただ、美しさが漂う岡本かの子の作品と
まるで一緒なのにぞっとした。
追記・・・
岡本かの子の展示を観ることができたのは嬉しい限り。
学生時代、私の御姉は「かの子」「高橋瑞恵」「与謝野晶子」だった。
彼女の「食魔」も大好きな作品だった。こんなところに魯山人がいたとは。
いつかもういちどかの子の作品を読み直してみようと思う。
軽薄短小と言われた学生時代、どこからどうみても品行方正な同級生が
「かの子を卒論で書くの」と言ったときの新鮮な驚きを今でも忘れない。
「何を食べているか、いってください。貴方がどんな人かあててみせよう」という言葉があったが
食べ物の好みと作家の好みは、恐ろしいほどその人を暴き出す気がするので要注意だ。
挑発?魯山人と岡本太郎・・・1 まずは魯山人
陶芸美術館に「北大路魯山人と岡本太郎展」を見に行く。
http://www.tougei.museum.ibk.ed.jp/
秋晴れの半袖ではやっと肌寒くなった昼下がり。山越えルートが殊の外楽しい休日。
しかしいつ来てもこの美術館の入り口は「閉館」のご様子で
左右に開いてくれるとほっとするのは、これはこれでいいもの、なのでしょうか?
ここの所、魯山人はブームなの?今朝の朝日新聞の天声人語でも彼の「食魔」の片鱗に言及していたし、
先日はNHKで魯山人のgloutonぶりを紹介もしていたが
たしかまだ娘が6歳だったころお稽古から帰ると、魯山人の夏茶碗が欲しいと言いだし仰天したものだった。
かほどに魯山人は民衆に浸透していたのか?私はいつでも「日動」とのセットで春風万里荘を案内したものだが
それだけの位置づけで、釉薬が美しく滑らかに流れていない焼き物にはとんとご無沙汰をきめこんでいた。
魯山人の大鉢の工夫や意匠は、しかし楽しく「ここまで遊べばうん、オッケー」と納得するものであり
もしかしたらこんな美術館に麗々しく陳列されることは不本意だと思っておられるのかも知れない。
料理のないその器はなにか奇を衒ったようで悲しい感じ。
むしろのびのびとした書に心惹かれ、魯山人の書家としての腕前には新鮮に驚く。
書は、不思議な世界だ。「伸びやかさ」に心が晴れていく。墨の濃淡に過ぎない画面が
薫り高く色を越えた色彩をもち、余白は一層潔く、気が晴れ晴れする。
書には枯淡やわびさびもあるのだろうが、どんなに小さな料紙でも、伸びやかさが身上のような気がする。
民芸復興運動や「用の美」について書かれたものも随分探して読んだ。
陶芸品を見るたびに、そのなかでどうしようもなくひっかかる、どうしても解決できていない、
自分の中の疑問が顔を覗かせる。
用の美を極めているものが高価で芸術品になっているということ。
その作り手が芸術家になってしまうこと。
どうしてもそこに撞着しているなにかを考えてしまう。
ひたすら魯山人の良さ、に浸る人を傍らにいつも連れだってここにくるのは
なにかその答えを得たいと思うからなのかもしれない。
Sunday, August 19, 2007
静謐と躍動 森田茂展 近代美術館 1
近代美術館に足を運ぶたびに夕立になるのはなぜでしょう?
濡れて滑る石の階段を駆け上がり、いつもと順序が逆の「常設展」に。
http://www.modernart.museum.ibk.ed.jp/exhibition/jyousetsu/index.html
能の舞台を始めて見たのは5歳の頃だったそうだ。
眠ってしまうかという両親の心配をよそに、笛が響けば長嘆息し
鼓の音が響くたびに座席から浮き上がって
それはよい子で観能したとか。
上野で改めて見た、学生時代の授業では火鉢の側ですっかり眠りこけていたものを。
その後、熱海のMOAでの薪能。地元神社での薪能のせいか
闇に縁取られてかがり火で燃え上がる、独特の雰囲気こそ能の世界と思いこんだ節がある。
学生時代の授業で謡いを習い、次は鼓を手にしてみたかった。
脇役大好きな性格なので立て役より地方が好みにあってもいた。
人気のない展示室でいきなり「黒川能 石橋」を観る。
これは音そのものだ。
摺り足で登場し、今、檜の板を鳴らして
冴えた拍を刻む白足袋の
その音で一層静寂が際立ち、能面は表情を得る。
死の静寂に、切り込む生の音。
自己とは何か、面をつけることで全ての生を具現化する能役者がまた
ひとりの農民である不思議さ。
そしてこの大作が画家の76歳の作品であると言うこと。
畏怖さえ感じる能舞台の一瞬が、盛り上がり切り立った油絵の具に叩き込まれている。
一瞬が絵画ならば、能はまさにうってつけてだ。
どの一瞬を切り取っても醜さがない。ゆるみがない。
緊張と懼れを押しつけてくるような画家の迫力。
離れて観なければテーマが浮かび上がらない。
後ずさりして壁を背に観ていた私は、これは恐怖の姿勢だと思う。
画家は、画家も、こうして一筆毎に後ずさりをして敬い畏れながら
キャンバスにむかったのだろうか?
それとも既に画家の中に、描く視点と俯瞰する視点の完成があり
画家のよって立つ位置はかわらないまま、なのか。
面の持つ奥行きとともに、この展覧会での衝撃はつづきます。
Saturday, August 18, 2007
懐かしい丸谷才一
いつでもそこに帰っていく本がある。
今、興味を持って片端から読了していくシリーズの中で
ふと、ああ、これこれっと本棚の所定の場所から抜き出してくる。
そんな作家のひとりが丸谷才一。
中でもお気に入りは『群像』に執筆されていた「恋と日本文学と本居宣長」
今私は文庫版で手軽に手に取ることができるが
それまではこのぼろぼろになった雑誌を「どこに保管するか」で心悩ましたものだった。
なぜこんなに安心感を持って読み返すことができるのか、
ひとつには氏の語り口、だろう。
丁寧な口調で歴史的仮名遣いに彩られ、ゆっくりと読み返すことができる。
この内容は、やはり口語では相応しくない。
鹿爪らしいおじさん国学者としての本居宣長を学んだときに
彼はもしかしたら中国文学と日本文学の重大な差異(善し悪しではない)を「恋」!!という一点に絞って
大まじめに論じた唯一人ではないか?と思った。
90年代半ばに丸谷氏の文章に触れ、
私だけではない、とおもった時の胸の空くような高揚感は今でも健在だ。
公と私の間に文学があり、さらに私の背景に社会が見えるような文学世界に
既に時代は進んでいるはずなのに、この飢餓感はどうしてくれよう、と思う。
昭和に入ってからも様々な試みがなされ破綻し、また生じ
ネット小説・携帯小説が産まれるにあたって、
大正モダニズムを分析した自分に一種の懐かしさと、挑み心を掻き立てられた。
Wednesday, August 08, 2007
もどかしい夢
体調の悪いとき、仕事で忙殺されているとき、
必ず見る夢がある。
起きなければならない時間の少し前に見て
そしてそのためになかなか覚醒しないことになる。
「行き着くことができない」夢だ。
場面は決まって学生時代。4年間通ったキャンパス。
私は試験を受けなければならない。
それなのに、教室に行き着かないのだ。建て増し建て増しを繰り返した校舎だったから
思いも掛けない階段や渡り廊下でつながっていたのは事実なのだが、
それらを駆け抜け、学生に尋ねながら、いつもの講義の教室を横目で確認して
行かなくてはならない試験の教室を探している。
時々、駅からスタートすることもある。
横道や、近道を駆け抜けて、学校の門へと向かうのに行き着くことができない。
悲鳴を上げて混乱して、汗びっしょりになって目が覚める。
今朝は、新しいバージョンが加わった。
修士論文を書いた頃に戻って、私はまた教室を探している。
建て増しした校舎の階段を横切りながら
広いキャンパスを泣きそうになって走り歩く。
指導教官を探しているのだが、教官室が替わりどうしても会えない。
専攻科の学部長室に飛び込み、研究題目の話をし始めた。
ここで私はテーマを差し替えればいいのだと
もう探さなくてもよい、尋ね歩かなくても良いと安堵したのもつかの間
また、最初の教官を訪ね歩くことになる。
絶望的なキャンパスのひろさ、同じような建物の入り口。
走り抜ける無人の校舎。
どこからか聞こえるブラスバンド部の個人練習。
目が覚めた後も胸が苦しく、ああ、もう済んでいるのだとなんどもなんども自分に確認した。
